釣果なき釣り~釣った魚を持ち帰らない理由
まずお断りしておきますが、釣りに対する考えは人それぞれです。
これからのお話しは、あくまで私個人が思うことであり、
私以外の誰もが、あるいは、誰かが、そうだ…ということではありませんので念のため♪
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大抵の場合、釣った魚はリリースして、持ち帰ることはありません。
私は、魚、あるいは、トラウトが食べる魚として嫌いな訳ではありません。
むしろ、(最近は年齢的にも~苦笑)肉よりも魚が好きですし、
自分で捌くこともできますし、普段から料理をしていますので大した負担でもありません。
それに最近増えてきた、赤身のトラウトは非常においしい魚です。
刺身でも旨いですし、フライでも、香草焼きでも、粕漬けでも旨い魚ですので、
食べる魚としての魅力はかなり大きなものがあります。
だったら、せっかく釣った魚なんだから持って帰って食べればいいのに…
とよく言われます。
なぜ、トラウトを持ち帰らないのか…。
それは、私にとっては非常に簡単なことです。
エリアでのスプーン・フィッシングが、リリース前提で成り立っているからです。
(エリア=管理釣り場)
かつての、私の海の釣りを思い出してみます。
例えば、ゴカイやイソメを付けて、岸から投げでキスを狙う…とか、
同じようなもっとライトなタックルで、ボート上からキスやメゴチを狙う…とか、
釣れたピンギスを生き餌にしてマゴチを狙う…とか、
コマセ籠にコマセを入れてオキアミ餌で真鯛やイナダを狙う…とか…。
今まで私がやったことのある餌釣りですが、
これらの釣りの成果って、やはり釣果だと思っていました。
つまり、どれほどの「量」や「重さ」の魚をクラーボックスに入れて持ち帰ったか。
あるいは、どれほど希少な魚をクラーボックスに入れて持ち帰ったか。
そういうことが釣果として認識していたと思うんです。
海の餌釣りにおいては、釣った魚をいかに持ち帰るか…が重要であり、
釣った魚が生きていること…
もっと正確に言えば、「今後も、問題なく生存できる状態」であるかどうかは
問題ではありません。
生きていても、死んでいても、結局は〆て持ち帰るわけですから、
魚の生き死には問題ではないわけです。
(魚を「〆る」のと、釣れた魚の生死を問題にしないのは別の問題です)
最近しているエリアでのスプーン釣りはそうではありません。
スプーンでの釣りは、餌釣りの「釣果」の考えで見てみると、
釣れた魚を持ち帰ることがない、言ってみれば、釣果なき釣り…ってことになりますが、
考えてみると、確かに釣った魚を持ち帰るのが釣果だとすれば、釣果のない釣りです。
魚を持って帰らないこと=釣果なし…
ってのは、いささか乱暴なこじつけかもしれませんが、
友人に、「魚は?」と聞かれ、「リリースする釣りだから」と言ったら、
「だったら釣れなかったも同然だよ、何が楽しいの?」と言われたことがありますので、
乱暴とは言え、まったく言えないことでもなさそうです。
でも、だから写真撮りたがるんですかね^^;;
「ホントに釣ったんだよ~」って。
そして、エリアのスプーン釣りにおいては、
「魚が、これまでと同様に、問題なく生存できる状態で釣れたかどうか」が、
非常に重大な問題です(というより、最優先事項だと私は思います)。
「今後も問題なく生存できるように」という前提で、釣具や釣り方が確立されています。
例えば…
餌釣りでは、食った魚を逃がさないように、「カエシ」の付いた針を使いますが
スプーン釣りでは、リリース前提ですので、あえて「カエシ」のない針を使います。
釣った魚は、手で触ったり、地面などに置かず、体表の粘液が取れないよう配慮します。
粘液がなくなると、トラウトは病気になって死んでしまうからです。
逃がした後も、今まで通りに生存できるように組み立てられているのです。
私は、管釣りを始めた当初から、実はつい最近まで、
釣る事そのものを楽しむ釣りだ…と思ってきましたが、
ふと思ったんですが、エリア・フィッシングは、
うまく逃がすことを最良の結果として求める釣りである
ってことなんだな…と思うようになりました。
その意味では、私がエリアフィッシングにおいて、「魚を持ち帰る」ということは、
問題なく生存できる状態で釣ることができなかった…というケースであることが多く、
それは、この釣りとしては、「1尾釣れた」と胸を張れる状況ではありません。
逆に、上手く釣れなかったというケースです。
そうは言いつつ、この目で釣った魚を見たい、画像を撮りたいなど、
私の勝手な言い分で、ネットでのランディングなど、
真に魚にとって、最良のリリースではないのは否めませんが…。
まぁ、誤解を恐れずに言えば、
エリアのスプーン釣りにおいて、生存できない状態で釣れた場合には、
この釣りとして「失敗」ですし、カッコ悪いことでもありますし、ヘタクソでもあるわけです^^;;
(私的に…であり、必ずしも…ですけれど)
実際、私が魚を持ち帰ると、奥さんはこういいます。
「あらら、死んじゃったんだ」と(笑)。私も、「失敗、失敗」と答えます。
彼女は、自分では釣りをしませんが、この釣りがどういうものか理解しているようです^^
つまり、なぜ持ち帰らないのか?と言うことではなく、
リリースするために釣っているから…なんです。
そういう釣り方であり、そういう釣具で、「生かして」「放つ」ために釣っているわけなんです。
さらに言えば、最良の形でリリースするための技術を楽しむ釣り…
とも言えるかもしれません。
言い換えると、生存できない状態で釣った魚を持ち帰るのは、
この釣りのベストな結果ではないので、一生懸命、生きられるように釣って、
それをリリースすることで満足感が得られる釣りだから…と言えるのかもしれません。
釣った魚を持って帰ることより、魚が元気に泳ぎ去る姿を見たいんでしょうかね^^;;
ただし、このリリース前提の釣り…は、私は、管理釣り場でしかしません。
自然界では、リリースなんて、イレギュラーな行為だと思っているからです。
いくら注意したって、釣られた魚に影響がないわけがありません。
口に針がささって、何も影響がないはずがない…と思うからです。
だから、リリース前提の釣りを自然のフィールドではしませんし、
かつての海釣りでは、自分が食べられる量だけを釣るようにしていました。
エリアは、釣る&リリース、釣る&リリースをするために人工的に作られた場所です。
悪い例えかもしれませんが、屠殺されるために飼育される家畜に似て、
人間のわがままとして、釣って逃がすをするために作られた施設だと思うんです。
だから、リリース前提の釣りなど、その中でのみすべきでわ?と思っている訳です。
(人に強制しませんし、正しい考えだと主張する気もありません。単なる私見です)
以上が私が釣った魚をエリアから持ち帰らない理由です。
もちろん、エリアにおいても、釣った魚は必ず持ち帰る…という方はいますし、
リリースするために釣っている…とお考えでない方もいらっしゃると思いますが、
私は、それを否定しているわけではありません。
それはそれで、個々にお考えあってのことなので、私が言及する領域ではありません。
本記事は、ひとえに、私個人のことを書いたに過ぎません。
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(注)全ての記事内容はあくまで私の主観ですので、その点ご理解の上お読み下さい。
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拙い記事を最後までお読み頂き、ありがとうございましたm(_ _)m
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