私流 釣れない釣りを楽しむ法
私が、最初に管釣り体験をして、徐々にのめり込みはじめていた3年前を思い出してみるに、
もう少し楽に釣らせて貰ったような気がします。
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いつもいつも渋い…なんてことはなく、
こりゃあ渋い!…って日もあるけれど、一方では何をしても釣れる、どこで釣っても釣れる…
なんて、いわゆる「爆釣」って状況も少なくなかったように記憶しています。
最初に、いつ行っても釣れないなぁ…と思ったのは、一昨年の晩秋からの産卵期でした。
それまでは、旧ブログに「釣れた釣れた」のオンパレードでしたけれど、
その時期を境に、産卵期が終わっても、どこかに渋さが残ったような感じがしていました。
それが、最近ではあたり前のようになってしまって、とんと爆釣なんて経験がありません。
もちろん、大前提として、私がヘタクソだから…ってのもあるのでしょうが、
同じ人間が釣っていても、最近は、スッキリ「好釣!」と言える日はないような気がします。
魚もだんだんスレて、その記憶が遺伝子に組み込まれて、
生まれながらにルアーを警戒する魚がいたりするかも?…とか、
さらに、釣法が色々と開発されて、釣れない魚を無理やり釣ることで
慢性的なスレ状態に陥っているのかもしれない…とか、
そんな空想をしてしまうほど、いつもどこか渋い状況が続いている気がしてなりません。
ちょっと余談なんですけれど…
最近気になるのが、一度釣られた魚は、次はいつ釣れるの?ってことです^^;;
魚にしてみれば、エサと思ったか、何か興味を持ったか、攻撃したか…
いずれにせよ、ルアーに食いついたから、釣られたわけですよね?
釣られた魚は生命の危険を感じるんですかね?
魚は、人間が近づけば逃げるし、追尾しているルアーも違和感があれば追わなくなりますから
何も感じない~つまり、釣られる前と変わらずに反応するってことはないと思うんですね。
だとすればリリースされた魚が、その足で隣のスプーンに食いつくってことはないと思うんです。
もちろん、一度ルアーで釣られた魚が、再び、ルアーに食いつくことは、
アングラーなら誰でも経験がありますよね?
口にミノーを咥えたままで、さらにスプーンに食いついて釣れあがる、
ある意味「懲りない面々」は魚にもいるのは事実です。
それでも、数分後にすぐに違うルアーに食いつくものなんでしょうかね?
数時間か、数日か…時間を置いてからじゃないのか?と思うんですケド…。
では、例えば100尾だの、200尾だのと爆釣すると、
「しばらくはルアーに食いつかない」魚の大量生産をしているんじゃないの?
って思うことがあるんです^^;;
私が仮に、特別釣れるメソッドを見つけたとか、釣れる釣法だ…とかで爆釣したとすると、
周囲の方に対して、釣れない魚を撒き散らしているの?ってことなんです。
つまり、必要以上に釣りまくると、ポンド全体を釣れなくする…なんてことはないんでしょうか?
もし、この仮説が成り立つとすると、釣っている私は「絶好調!」って楽しいけれども、
「釣れる釣り場」を維持するためには、自制も必要なのかな…と思ったりします。
以前は、海の釣りもしていましたけれど、アジを100尾とか、イカが200杯とか…
そういう釣果を聞くたびに、なんでそんなに?と思ったものでした。
昨今は、道具にしても、メソッドにしても、釣れない魚を無理やりにでも釣るような
方法が多くなって、釣れない釣り場をどんどん増やしている…なんてこと、ないのかな…
なんて、最近のスッキリしない釣り場に通っていると、ふと思ったりする今日この頃です。
まぁ…、そもそも、そんなことを考える私は、
あきらかに、周囲の人を釣れなくしているよりは、釣れなくさせられる方の釣り人な訳で…
だからこそのセコイ発想なのかもしれませんけれど^^;;
余談でした^^;;
まあ、釣れない側のアングラーとしては、いつもいつも釣れるわけではないので、
釣れない時でも楽しめる方法を持っていないと、釣りそのものが面白くなくなってしまいます。
私も、一時期のスランプは、その辺jから来ていたんだろうな…と思います。
そこで、釣りがずっと楽しいものであるように、私なりに決め事をいくつか作りました。
それを実践することで、「釣れない釣りも楽しめる」ようになってきたように思うのです。
■大物を狙う
幸い、私は大物好きです^^
20cm級10尾と、50cm級1尾なら、迷うことなく後者です。
20cm級20尾と、50cm級1尾でも、後者がいいです。
30cmを超えると、引きが全然違ってきますので、
30cm級10尾だと、50cm級で2尾欲しいところですが、30cm10尾でも悪くないです^^\\
30cm級20尾ってことになると、60cm級が欲しいところですかね。しかも複数。
まあこんな「もし」は意味がありませんけれど、私は大物好き…てことが言いたいわけです。
そんな私ですから、時速1尾でも、それが50cm級なら満足できるので、
どうしても、エリアの選定や、タックル、ルアーまで、大物を意識したものになります。
私のホームエリア「すそのフィッシングパーク」は、大物しかいない特殊なエリアですので、
ここでなら、渋くてなかなか釣れない場合でも、1尾を釣った喜びが大きく、
「数が釣れないこと」を、「大物ゲット!」という満足感に置き換えられるんです。
人それぞれなので、誰でもが、大物1尾で納得できるとは言いませんが、
少なくとも、やっと釣れた1尾が、40~50cmであれば納得もしやすいかと…
まして、60cm級となれば、納得もゆくし、充実感も得られるのではないでしょうか。
100尾釣った、200尾釣った…というお話しを聞くと、
スランプ時期は、「うらやましい」「なんで自分には釣れない?」とアセってしまい
徐々に、釣れない自分を責め、釣れない状況を呪ったりもしたものです。
けれど、自分の「好き」を明確にすることで、数への執着を断ち切ることができました。
最近、私にちょうどいい釣行時間は3~4時間といったところです。
すそパのナイターとか、仕事前の足柄CAが、ちょうどいい感じです。
3時間の中で、大物を2~3尾ゲットできれば満足です♪
■漫然と釣らない
スランプの頃を思い出してみると、周囲と自分を比べて、早く釣らなきゃ…とアセり、
それに反して、なかなか釣果が得られないとますますアセってしまい
何も考えずにただスプーンをとっかえひっかえでキャストを繰り返す…
そんなことが続いていたように思います。
誰でもそうだと思いますが、釣果が芳しくないと、集中力が途切れて散漫になってしまいます。
特に私のようにヘタクソだと、引き出しの数も少ないので、漫然化しやすいです^^;;
今は…というと、なかなか難しいんですけれど、なぜ、このスプーンで、この色なのか…を、
自分なりに考えて選ぶようにしています。
スプーンをチェンジしながらスプーンやカラーを考えていって、何投目かでヒットしたとすると
それを再現しやすくなるんですよね。スプーンが良かったのか、カラーがアタリか…。
それが続けばヒットパターンでしょうから、その後が釣りやすくなるでしょうし、
パターンではなく、単なる偶然だとしても、何も情報がない…ということはないと思うんです。
例えば、ミノーを使っていて「トィッチは避けちゃうな」と思ったら、それを忘れずにいて、
次にスプーンに換えた時に、大きなアクションや水押しの強いスプーンで釣れなければ、
「トィッチも逃げたし、気配を小さくしたほうがいいのか?」なんて、
自分なりの理屈を作り出すことができるじゃないですか?
そういうことを考えながら釣っていると、釣れないなりに飽きずに続けらる気がします。
その理屈は、自分なりのへ理屈なんで、当っているかどうかは分かりませんけれど、
トーナメントに出ているわけじゃないですから、それで自分が楽しければいいわけです^^
つまりそれは、釣れない状況を楽しむ方法の一つに違いない…と思うわけです。
魚の方が食う気満々の、高活性に支えられた「爆釣」なんかより、
多少活性が低い中でも自分なりに考えて、試行錯誤した結果として大物が1尾でも釣れれば、
それは「釣れた」のではなく、「釣った」という満足感に繋がると思うんですよね^^;;
■自分を縛る
え~、勘違いしないようにお願いしマス^^;; 貴方がいま想像したような意味ではアリマセン(爆)。
私は「FORESTのスプーンしか使わない」とか「3g以上のスプーンをできるだけ使う」とか、
「釣りやすいといわれているメソッドで釣らない」とか…自分の釣りに制限を設けています。
もちろん、釣りは「趣味」ですから、この制限は「絶対的なもの」ではありません。
1g前後のスプーンも、クランクも使いたければ使いますし、スティックだって使うかもしれません。
でも、私の性格や性分なのでしょうが、
制限なしに、「釣れる道具」「釣れるメソッド」総動員で釣る釣りよりは、
制限された状況、ある程度の釣りにくい条件の中で釣れた方が嬉しいし、満足感が高いんです。
(そういう意味じゃない…と言ってる割に、Mっぽかったりしますが…爆)
ここで重要なポジションを占めるのは、「使いたければ…」という気持ちです。
私は、大物を釣りたい人です。
スプーン選択をする際に
「渋い状況」で何とか魚を釣りたければ、口を使いやすい小さなスプーンを選択しますが、
「大物が釣りたい」ということであれば、大きなスプーンを選ぶ可能性が出てきます。
そこで、自分の中で「どっちを使いたいか」という選択になるわけです。
大物が釣りたいと願う私は、どうしても大きなスプーンを選ぶ場合が多くなります。
よほど釣れなければ、3g台⇒2g台⇒1g台と、サイズを落としてゆく場合もありますが、
最初から、1g台ということはほとんどありません。
一つ注釈しますが、小さなスプーンで大物は釣れない…
と言っているのではありませんので誤解しないでくださいね。
■人と比べない
渋いのは確かだけれど、周囲の人は、何尾かは釣れているのに自分はボーズ…
そんな時は、テンションを維持するのが難しくなりますし、アセりも感じてしまいますよね。
でも、自分が釣れている時のことを思い出せば、それが無駄なアセリだと分かります。
つまり、釣れている人は、釣れることに集中していて、
周囲のことなんて見ているようで、実は全然見ていないですよね^^;;
だから、釣れている人と比べて、釣れない自分はカッコ悪いとか、
早く自分も釣らなきゃ…なんて思ったり、アセったりするのは無意味なんですね。
(この点については、自分に言い聞かせつつ書いてますが~爆)
アセりがなければ、「いつか食うでしょ?」と余裕が生まれてきますし、
意識を自分に向けていると、ふと、気づくことが色々あるものです。
「あ、オレったらちゃんと一定速で巻けてない?」とか、
「お、三角波って、巻き速度とロッドティップの高さで、微妙に変わるんだ」とか…
そういう小さなことに気づけば、それもまた「楽しい事」の一つだと思うんですね。
こんな風に思えるようになって、スランプは脱出できましたし、
負け惜しみではなく、「釣れない釣りも楽しむ」ことができるようになりました^^
誰かと比べることはなくなりましたので、自分の釣りに集中できるようになりましたし、
意識が自分に向くことで、自分のスキルやマナーなどに気づくことも多々ありますし、
何より、より大物を1尾でも釣ろう…という1点に集中することができるようになって、
釣り自体がとても楽しい時間…に思えるようになりました。
「釣れるばかりが釣りじゃない。釣りたいのも釣り、釣れないのも釣り、そして釣らないのも釣り…」
そんな言葉が、いつの間にやら、自然と心の中に根を下ろしていました。
釣りなんですから、そりゃあ釣れたほうが楽しいに決まってます。
自然相手なんですから、釣れる紐ありますし、釣れない日もあります。
でも、釣ることだけに興味がいってしまうと、見えるものが見えなくなることがあります。
釣りたいと願って、スキルを磨き、試行錯誤をするのも「釣り」だし、
知識や技術の全てを駆使しても釣れない~「今日は魚の勝ち」って日があるのも釣りに違いないし、
必要以上に釣らない、ムダに釣らない、無理してまで釣らないのもモラルある釣りだろうし…
そんな風に思うようになって、釣りってものが、以前よりもっともっと楽しくなりました^^v
(注)いつものことですが、全ての記事内容はあくまで私の主観ですので
その点ご理解の上お読み下さい。
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拙い記事を最後までお読み頂き、ありがとうございましたm(_ _)m
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